ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝の夢。余市蒸溜所の見学ツアーへ参加して学んだ「志と夢の実現には時差がある」ということ。

ニッカウヰスキー、余市蒸溜所。大正時代半ば、日本ではまだイミテーションウイスキーが主流だった頃。

「日本で本物のウイスキーをつくる」という夢を抱き、単身スコットランドに渡ってウイスキーづくりを学んだ青年がいました。

彼の名前は、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝。

ひたむきに学ぶ彼の勤勉さは、かつての英国首相に「頭の良い日本の青年が、1万本の万年筆とノートでウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」と讃えられたほど。

帰国した後もさまざま苦難を乗り越え、日本のウイスキー産業の普及に貢献しました。

北海道・余市の蒸溜所は、竹鶴政孝の夢の原点。私と妻は雪降る中、ウイスキー3種の試飲付き見学ツアーへ参加。

竹鶴政孝の初めての実習先だったロングモーン蒸溜所で学んだ石炭直火蒸留は、今では世界唯一。シングルモルト余市の重厚さ・香ばしさを体験できました。

◾️ニッカウヰスキー前身、大日本果汁(株)

余市蒸溜所に工場が建設されたのは、1934年のこと。竹鶴政孝はニッカウヰスキーの前身、大日本果汁株式会社を設立しました。

ウイスキーは少なくとも5年間は樽の中で熟成させる必要があり、竹鶴政孝が待望の第一号ウイスキーを発売したのは、1940年でした。

大日本果汁という社名の通り、会社設立からの5-6年は、リンゴジュース、アップルワイン、アップルソースなどを販売しますが、売れ行きは芳しくなかったようです。

それでも竹鶴政孝は、モルト原酒の熟成をじっと待ち続けました。その後、大日本果汁の「日」「果」の2文字を取り、ニッカウヰスキーとなりました。

◾️星野リゾート、界ポロトでの振り返り

2ヶ月ごとのルーティンになった星野リゾートでの振り返り。今回は、界ポロト。

湖畔にはアイヌ民族の文化や民族共生を伝える「ウポポイ」があり、△湯から見るポロト湖は日常を忘れさせ、頭と心を空っぽにさせてくれます。

3日間ともに快晴、朝晩は氷点下8℃。界ポロトのある白老から余市まで2時間車を走らせると、札幌を過ぎたあたりから大雪に。

千葉県在住の私と妻には、白老の気温、小樽や余市の雪もまた日常を忘れさせ、別世界へと誘うには十分な気候でした。

◾️志から夢の実現には時差がある

振り返りをする旅には、新しい出会いがあり、発見があります。意識明瞭、思考が研ぎ澄まされます。

10月11月の手帳を見返し、日誌や行動をレビュー。

すると、自分が何を志しているのか、いま何をやっているのか、いま何をすべきなのか・すべきでないのか、原点回帰できます。問題解決の突破口も見えます。

私たちも挑戦者、開拓者として、竹鶴政孝ほどの大きな夢でなくとも、それぞれ夢の実現には時差があることを忘れてはいけませんね。